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ツアー追想 投稿者:スイスの旅芸人 投稿日:2018/02/17(Sat) 20:17:39 No.5317


 去年のラストライブは11月末トンキン吉祥寺で終わったから
2ヶ月ぶりのライブスタート’18年2月9日「神田ショージマル」
で今池アクシデンツが今年の仕事初めの予定だったのだが去年この
仕事を決めた直後に札幌から「時計台、蝦夷音楽祭」のオファーを
受けた、う〜ん少し迷ったが了解した。
トンキンから北海道2月のライブ移動は音楽業界でもかなりリスキー
な事なのである、古井戸時代千歳に降りられず羽田に帰って来たこともそして羽田で午前中から欠航続きでキャンセルになったこともあるから、しかし9年ぶりのエゾ音からの依頼だ、そりゃー行くべさ!
すべてのスケジュールを組み直した。
続き加奈?

Re: ツアー追想 投稿者:スイスの旅芸人 投稿日:2018/02/21(Wed) 17:53:46 No.5318


18日この追想記の続きをかなりの長文で書いて投稿したのだが
ネット世界の不可解な拒絶によりどこか彼方へと消えてしまい
徒労感でトホホ!
まっ、気を取り直してまた書くつもりだがやや不安
これをぶちこんでからにするわい。

Re^2: ツアー追想 投稿者:スイスの旅芸人 投稿日:2018/02/21(Wed) 18:02:09 No.5319


ツアーの行程予定は下に書いてあるがここではそこその街、人々の
ことを追想してみるつもりだよ。

怖いのでまた投稿!

Re^3: ツアー追想 投稿者:スイスの旅芸人 投稿日:2018/02/21(Wed) 18:29:35 No.5320


さてさて12日間のロングツアーの初日1月31日名古屋へと向かう、しかし何故こんな無謀なスケジュールを組んでしまったのだろうか、最初は去年の10月に「今池アクシデンツ、神田ショージマル」を決めた後に「札幌時計台、エゾ音楽祭2ディズ」のオファーが来たのだ、一瞬ためらったが9年ぶりのオファーでもあったし、故郷
札幌でのライブも3年ぶりだったので「またいつか?また来年?」
などと云っていられる年齢でもないのでそれを受けスケジュールを
組み直した、しかも俺は身の程知らずの暴挙にでる「久々の蝦夷地
だから旭川、札幌のワンマンライブをやった後に時計台でもいいか」それも2月厳冬期の蝦夷地往復である、このスケジュールを決めた後に寒気がしたもん。

Re: ツアー追想 投稿者:スイスの旅芸人 投稿日:2018/02/21(Wed) 19:52:59 No.5321


2月9日の今池アクシデンツライブの最終リハをやるため31日
名古屋へ向かったのだ。
アクシデンツメンバーは俺以外名古屋在住なのだが去年の5月
ステージデビューし10月に2度目のライブをやったばかりなのだ
リハは俺がツアーの途中で寄ったりするくらいで俺がリハに参加
したのは4回くらい、メンバーは俺がいない時にも集まりリハをやっていた。
そうそうまずは「今池アクシデンツ」を始めるにあたり俺のレパートリーから選曲することになりアレンジされた音源を彼らに聴かせたら
それにどうしても引っ張られるだろうし、俺はこのバンドがバックバンドになることを望んでいなかったしメンバーもそうだったろう。
去年の初めPCMレコーダーを買い弾き語りの音源をメンバーに送り
彼らに新しい解釈を求めた、「ふむふむ!なるほどね」もあったし
「え!まじか」もあったがメンバーがよしとしたものはステージに
上げた、10月ライブの時には俺の詞バンマス森くんの共作も出来
レパートリーは増えてきた、そのライブ後森くんが「このバンドいい
感じになってきているけど、このままライブのノリだけでやっていたらそれ以上は望めない、細部をつめ確かなものを確認しなきゃ決して
イカシタ・バンドにはならない」ふむふむ、そして「将来のCD化も目指しスタジオレコーディングをしよう」う〜んなるほど。
しかし俺カラオケで唄うこと出来ないよ、森くん「え!」とメパチクリだったがメンバーは集まりデータ交換しながらバンドのオケ作りを
していた。
1日目のバンドリハ2ヶ月ぶりに唄ったこともあるが何せこのバンド
は出音がデカイ、マイクがあるとはいえ、ついついシャウトしてしまい喉は疼き出していた、今回の名古屋リハは初めての2日連続だったので森くんは「かなやん、リハは夜からだけど昼過ぎ我が家に来て
オケで唄ってみない」う〜んしぶとい男だ!
何十年ぶりにカラオケで唄ってみたさ。
う!何か以前と違う感じと新しい発見も感じられた、ソロで唄う曲
とバンドで唄う曲は同じ曲でも違うものになる筈だしならざらるを得ない、それは俺が望んだことでもある。
このバンドでのヴォーカリストのあり方のヒントをもらった。
そして2日目のリハを終え打ち上げで酒を呑み、9日のスパークした
ライブを約し2月2日不安を残す羽田ー旭川飛行機便を目指し羽田へと新幹線へ、喉は疲れていたがねまだライブ1本もやってないのに。

続く加奈?

Re^2: ツアー追想 投稿者:レプリカ 投稿日:2018/02/27(Tue) 19:49:14 No.5322

「69(ロック)の日」を迎えるまでのロードムービーっすね。
是非とも続きをお願いします。

Re^2: ツアー追想 投稿者:スイスの旅芸人 投稿日:2018/03/03(Sat) 21:14:08 No.5323


羽田ー旭川の飛行機移動の何が心配?
このカキコの始めに北海道の天候が心配と書いたが今回は
東京の天候が不安だったのだ、1週間前に大雪で羽田便がほとんど
欠航してたし名古屋でも東京、旭川の天候にやきもきしていた。
1日に東京に雪がまた降り数便が欠航していた、2日12時過ぎに新幹線で名古屋を発ち羽田発16時台の便を目指しながら、もし欠航
した場合を考え東京ー新函館ー札幌ー旭川のJR移動も考えていた
しかしこの移動にはかなり厳しい制約があった、東京ー旭川10時間
の新幹線に乗るためには14時台だった、だから品川に着いた時に
飛行機が飛ぶかどうかで羽田に向かうか東京駅へ向かうかを決めねば
ならなかった、まっこの日は移動日前ノリだったけど旅芸人は当然の
ことながらその手配と判断をするのである。
新幹線が新横浜を過ぎた辺りでスマホで羽田の天候と飛行機の運航
状況を調べ品川から羽田へ向かうこととした。
しかし名古屋、東京では少し恥かしかった、だってホーキンスのスノトレ履いて皮ジャン着て長いブルーマフラーを首に巻いて右肩に
ギターソフトケース左肩に衣装バック背中に器材を背負って
まったく因果な前期高齢者だったわい。
空港ではまだ一抹の不安も感じながらも(どちらの天候しだいで欠航
はあるからね)シーメくいーの、バタコかみーの、FBに写真&コメントのせーの!で2時間あまりを過ごし何と時刻どうりフライトしたのだ、そしてそして18:55すっかり暗くなった北の大地にポッカリと浮かぶ旭川空港に無事着陸したのである。
以前から「あんたは金運はほとんどないけど悪運だけは強いね」
おーよ!これこそミュージシャン極道の勲章であると胸を張ろう。

先は長いがつづく鴨!?

Re^3: ツアー追想 投稿者:スイスの旅芸人 投稿日:2018/03/05(Mon) 20:23:14 No.5324


降り立った旭川は見渡す限り白だった
そして気温は零下16度、空港まで迎えに来てくれたスタッフの車
まで駐車場へ、歩道も車道もすべてが白く踏み固められている、
スタッフはスタスタと歩いて行くのだがコチトラ札幌生まれとは云え
蝦夷地を離れ50年経っているし札幌以外で暮らしたことないし
旭川は札幌よりも寒く雪が多いと知っていたが「うわー!これが
旭川かーーーー!」などと叫びつつ40分ほど走りテルホに着いた。
まだシーメは食べてなかった、館内にはレストランはないしロビーから見渡してもそれらしい飲食店はないし観光気分で街ブラなどの状況
でもないしホテルの自販機でルービとつまみで本日の夕飯とす。
翌日たらたらと昼頃起き出し流石夕べの食事(?)でライブ当日を
迎えるわけにはいかないべさと思い意を決し5分ほど先にある駅ビル
へと10分以上かけ辿り着いた、しかし流石だな昼12時で零下12
度なのに地元の高校生はコートも羽織らずがくらんだけだもんな、そして交差点の信号なんか小走りだもんな、俺なんか腰を落とし両肩
両腕でバランスを取りながらまるで浮遊体勢だったぜ。
スノトレはかなりグリップしてくれた、皮ジャン、マフラーも寒さ
から守ってくれたそして手には防寒用皮手袋、だってさーもしももしだよ滑って転んで指を突いたらギター弾けなくなるんだぜ!
何とか駅ビルで米と肉を喰らいまた浮遊しながらテルホに帰り
今夜のライブ「旭川アーリータイムズ」のマスター野沢氏迎えをしばし待った。
3年ぶりの再会の野沢氏は俺のその装備を見て明らかに「なんじゃー
それ、マジで道産子かよ!」の視線を痛く感じたが「俺って生まれながらのナウでヤングなシチーボーイじゃん」と呟きながら旅立ちから
4日目にしての初ライブ、まぁーこんな経験は47年間なかったな、
喉はそれなりに疲れていたし移動と温度差により体もそこそこ緊張
していたようだ、さーて日本3大楽屋を持つアーリータイムズへ。

「69の日」まで後6日

Re^4: ツアー追想 投稿者:スイスの旅芸人 投稿日:2018/03/07(Wed) 19:25:02 No.5325


この季節の「旭川アーリー」は格別だ
外の寒さ、店・スタッフ・お客さんからシンシンとしみてくる
暖かさのお陰で今年最初の掛け替えの無いライブをやらせて
もらった。そしてそれらを醸すもう一人の男がいた、俺や仲間たちが
「稚内少年」と呼ぶ男だ、少年と呼んでいるがすでに40歳を充分
越えているのだがね、彼を認識したのは10数年前だったろうか
驚きそう名付けるきっかけがあった、真冬の札幌「ジャズ極道VS
フォーク極道対決ライブ」の時、車を雪で真っ白にし来てライブが
終わったらそのまま稚内に帰って行った。
内地の衆!蝦夷地を侮るなかれ 札幌ー稚内は340キロの距離だ
それも厳冬期、高速道路は旭川までしかないし後で彼に聞いたが
一般道の往復だったってさ、おーーーーーい!
往復680キロだぜ!クレイジー!イカシテるぜー!
そして彼の人とのコミニュケーションへの姿勢と視線が初々しいのだ
だからそう名付けたのさ。
札幌の仲間たちと語らって「稚内少年」仕切りで宗谷湾海辺に建つ
ペンションでライブをやり内地からも客が来てくれてペンション貸切
、ライブ+打ち上げ+宿泊、寝起きに聴いた波音は忘れられない、
利尻島にも始めて行き唄ったことも、まぁー「利尻ラーメン屋
ブチギレ事件」もあったけどみなよか記憶じゃ。
あらあら話を戻そう。
アーリーで打ち上げの時「稚内少年」はゆっくりとしているから
「あれ、少年帰らないのか」と聞くと「はい、今日は旭川に泊まり
明日札幌へ行きます、送りましょうか」およよ、でででたー!
剛の者よ、だってあまりにも平気に云うだもん。
しかし俺もさる者よ「ふ〜ん、チミがそう云うなら乗ってやっても
いいよ」「はい、じゃー10時過ぎにホテルに迎いに行きます」
そんな会話を聞いていたアーリーの人たちもポカーンとしていたな。

そして「69の日」まで5日目の朝は明けたのだ。



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